平成を振り返る!中国留学中で起こった厄年よりも厄年だった2006年の出来事

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■2006年に起きた3つの出来事

遠ざかる香りです!平成を振り返ると、中国留学中の2006年が私にとって一番の厄年と言える年でした。

主に3つの出来事が同じ年に起きました。

・記憶にある中で初めてインフルエンザの予防接種を打つも、

これまた記憶にあるなかで初めてインフルエンザに感染する

・人生で初めて骨折する、シャワーや文字を書くのが困難に

・生まれて初めて乗っていたエレベーターが故障する

それでは順番に詳しく書いていきます!

■インフルエンザ編

まずインフルエンザですが、何となく気まぐれで予防接種を打った年に

ピンポイントでその年だけ感染してしまいました。

正直小学校に入る以前の記憶は定かではないので絶対ではないですが、

少なくとも、記憶にある中ではインフルエンザ感染は2006年の一回だけで、

予防接種を打ったのも2006年の一回だけでした。

個人的にはもう予防接種は信用できません

というより逆に次に予防接種を打とつものなら、

またインフルエンザに感染してしまうのではと思えてならないです。

予防接種がトラウマみたいになっています、しかしインフルの最初の2日間は本当に死にそうでした。

というわけで、今後も最低限はマスクして手洗いとうがいはいつも通り徹底し

風邪だけはひかないよう体調管理はしっかりしていきたいです。

そしてインフルに関しては感染しないよう、祈ります。

■骨折編

次に骨折ですが、あの日は朝から手が痛く

しかしこれといって思い当たることもなく、とりあえず普通に過ごしていました。

友達の家に遊びに行きつつ「手が痛くて〜」と笑っていたのですが・・

徐々に痛みが増していき、ここでようやく何か変だと思い病院へ行くことに、

検査の結果骨折だと言われて写真も見せられ本当に訳がわかりませんでした。

朝起きたら骨折しているって経験ありますか?あの時は海外留学中でしたので、

保険は当然入ってましたが、朝起きたら骨折していたでは

保険会社が納得しないということで寝ている時の考え得る

ベッドの硬い部分に手をぶつけてしまったということにしましたが、

可能性はゼロではないですが、本当にそんな風にぶつけたという記憶も無く、

ただ朝起きたら骨折していたんですよね、本当に奇妙な朝でした。

ちなみに、骨折したのはこの部分です。

赤丸の部分の骨が欠けてしまい、右手の中指から小指までの3本を固定することになりました。

シャワーを浴びるのも面倒、講義の時のノートを取るのも面倒で泣きそうでした。

しかし人間慣れてしまうもので、時間が経つにつれてシャワーも、文字書きも意外となんとかなりました。

文字を書くのは中国語なわけですが、なんだかんだあの時は左手で書けました。

書けるようになれました!今やれと言われると無理でしょうが。

そうして一ヶ月経って検査で骨がくっついているのが確認され包帯が取れました。

ですが骨折したのが初めてだった私は知りませんでした。

一ヶ月動かしていなかった指が全く動かないのです。

固定されていた指は中指、薬指、小指の3本ですが、

これも動かすようになるまで一苦労でした。そりゃあリハビリ施設が必要なわけだと痛感しました。

今でも奇妙な出来事だったと思ってます。

■エレベーター故障編

そしてエレベーターですが、死ぬまでの間に乗っていたエレベーターが

故障するなんて珍事に出くわす人がどれだけいるでしょうか。

故障したのは当時住んでいた建物の2つあるうちの片方のエレベーターで

外から帰った私は正面から入って左のエレベーターに乗り、

エレベーターガール的な人が私の住んでいた15階を押します。

上に上がっていき10階まで行った所で停止、

表示が点滅し始め、そのまま下に逆走し始めたのです。

※常駐しているわけでないものの、エレベーター1つにつき1人

エレベーターガールのような感じで行き先をおしてくれる人がいました

エレベーターガールの動かないで、慌てないでという言葉に従い待ちます。

何らかの操作をして手動でドアをこじ開け、

ここから出て階段で部屋へ戻れと言われ、そのまま部屋へ戻りました。

さすがに対処し慣れているなと感心すると同時に、

一人で乗っていたらどうなったていたか?

と恐怖も感じていました。

実を言うと、あの建物のエレベーターは2つともたまに故障していました。

その都度、修理のためにそのへんにいそうなオッチャンが来て何かしらやってるんですが、

正直ちょっと時間が経つとまた故障するので効果があるのか甚だ疑問です。

それがわかっていてなぜ引っ越さなかったのか?

面倒だったのもありますが自分の乗っているときに故障する確率はかなり低いと思っていたからです。

そして仮に遭遇してしまっても、エレベーターガールがなんとかしてくれるので

よっぽど大丈夫だと思っていたからです。

ただ個人的に注意していた点はエレベーターガールは

常に乗っているわけではなく、持ち場を離れている時もけっこうあります。

その場合はリスクをおかして一人で乗るより階段を使うようにしていました。

15階に住んでいたわけですが、一人で対処する自信はないので疲れますが階段を選んでいました。

一人で乗らないを徹底したこともあり、大事にならずに済みました。

実に中国的なエピソードだとは思いませんか??

あの国ではエレベーターの件も含め本当に色んなことがありましたが、

ほぼ全てにおいてだって中国だからで済んでしまうのです。

最初少し大袈裟に書きましたが、日本ではなく中国に住んでいたこともあり、

ロシアンルーレットみたいなもので、低い確率を引き当ててしまったということです。

そして実際乗っていてわかったことですが、「ポンコツエレベーターってあんな動きするんだな」と

特にあの建物に長く住んでいれば、それだけ故障の遭遇確率は上がるのでそこまで驚くことではないんです。

あそこに引っ越してきて最初に故障しているのを見たときは驚きましたが、

エレベーターが2つあって2つともポンコツだとわかってからはもう

1人では絶対に乗らないを徹底して、結果遭遇したもののあっさりした出来事となりました。

■まとめ

実際に厄年と言われてる年には正直何があったかすら覚えていないほど

何もない平和な年でした。逆に2006年は悪い意味で印象に残る

平成において、私にとっては一番の厄年だったと言えます。

 

それでは今回のことについて簡単にまとめます。

・記憶にある中で初めてインフルエンザの予防接種を打つも、

これまた記憶にあるなかで初めてインフルエンザに感染する

→感染するときは、何をしても感染する、

手洗いとうがいだけはしっかり行い、あとは感染しないよう祈るしかない

 

・人生で初めて骨折する、シャワーや文字を書くのが困難に

→本当に奇妙な出来事で今でも納得はしていない

 

・生まれて初めて乗っていたエレベーターが故障する

だって中国だし

 

このような拙い思い出話を読んでくださり、ありがとうございました。